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武道である空手を学びませんか。

  道統喜屋武朝徳伝少林寺流
   正伝総合空手道 松門会 印西支部

学ぼう少林寺流空手


ちょっとした豆知識です。 


 1 沖縄空手の歴史 左のタイトルをクリックすると、
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 2 少林寺流
 3 少林寺流の指導理念
 4 少林寺流宗家道場訓
 5 空手修行者の心構え
 6 少林寺流の継承者
 7 型の特徴
 8 型武道
 9 古武術
10 古武術の道具と技



1  少林寺流
 
 空手は沖縄が発祥の地であり、空手の聖地です。
 昔から沖縄にあった「手(ティー)」という武術に、中国伝来の「拳法」が融合し「唐手(トゥーディ)」として発展・体系化されたものが、現在の「空手」の原型といわれています。
 この頃の「古伝空手」とも称されるものには流派と呼ばれるものがなく、中国伝来の流派としての特性をそのまま大事に受け継いでいたようです。
 とは言うものの、当初、空手は門外不出・一子相伝とされており、250年程、一族の間でだけ受け継がれてきました。明治時代にようやく沖縄に広がりを見せましたが、それでも沖縄だけの武術であり、大正時代になり日本全国への広がりを見せました。戦後、更なる活動の活発化により国内外に空手が普及し、現在に至っています。
 現在呼称される流派の発生は20世紀に入ってからの事です。それまでは、型の特色・伝承地名等にちなんで、「
首里手(後の少林寺流、小林流等)」「那覇手(後の剛柔流等)」「泊手(後の松林流等)」とに分かれ、又、これらとは別に中国南派少林拳を源流とする「劉衛流」と「バインガイヌーン流(後の上地流)」がありましたが、いずれも現在の流派の概念を伴うものではなかったのです。
 それが現在のような流派の形をとるようになったのは、1920年代以降です。
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2  少林寺流
 
 首里手系の大家・喜屋武朝徳(キャンチョウトク1870年〜1945年)のもとで修業を積んだ、仲里常延(ナカザトジョウエン1922年〜2010年)を開祖として1954年に誕生しました。
 松村宗棍などから「セイサン」「ナイファンチ」「ワンシュウ」「バッサイ」「ゴジュウシホ」「チントゥ」「クーサンクー」の七つの型と、棒術では「徳嶺の棍」を伝授された喜屋武朝徳は、生涯にわたって型の無修正主義を貫き通しました。
 仲里常延は、型が次々と変えられていく現代の空手界の風潮に対する反動として、この喜屋武朝徳の意思をくみ、”すべては源流に立ち返れ”という理念のもと、中国拳法の始源と言われ更に沖縄の「手」の発達に大きな影響を与えたと考えられる中国の少林寺拳法にちなみ、『
少林寺流』と命名しました。
 それが現在のような流派の形をとるようになったのは、1920年代以降です。
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3  少林寺流
 
●型を形成している形の鍛練、次に形を集大成した型の反復鍛錬

楷書の稽古であること。
 手本にするのは楷書の形であり、行書や草書の形は手本にならない。

●攻防の
技は近道を通る。

瞬発力迫力)がなければ空手ではない。

一撃必勝の信念を持ち、その域に達すること。
 この技が失敗したら次の技があるんだ、という考え方では真の技は体得できない。
 型を形成している個々の形は、全て相手を倒すという気迫を込めなければならない。

空手に先手なしの教えを技の中で表現すること。
 専守防衛の護身術から発達した武道で、全ての型は受けの技から始まり、そしてその技は最短距離を通って対応する。
 攻防の技は相手の出方を見てから発する。すなわち空手に先手なしの所以である。
 
残心を示す。
 受けも攻撃である。迫力、瞬発力のある技とは、
ゼロから発し、瞬時に最高点まで引き上げられたものである。

型の稽古は鍛練法である。
 徹底した楷書の型の反復練習によって基本を体得すれば、非常の際には相手の技に対応すべく適切な技が自然に発し、相手の技をけん制するのである。

一器の水を一器に注ぐが如しの禅の教えに徹すること。
 型を構成している技は、実践においては臨機応変に色々な技に展開するのである。その展開した技を原型に持ち込んで安易に型を構成している技を変えてはならない。型は既に完成されているものであり、それを正しく身に付けることが大事なのである。迷わず型の反復練習に励みなさい。
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4  少林寺流の指導理念
 
●先輩を敬い、後輩を慈しむ それは人格の相互尊重

●型を体得し、道をきわむ それは型の反復練習

●人を愛し、言動をつつしむ それは達人の道
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5  少林寺流の指導理念
 
●一器の水を一器に注ぐが如し
 (一滴の増減もなく弟子に伝授し無窮ならしめる、という禅の教え)

●巻きわらで鍛えた手の甲を見せびらかすのは非常に見苦しい光景で絶対に慎むべきである。

●素人のけんかは、生木と生木のたたき合う様なもので、皮が破れて汁が出るが大した事はない。しかし、玄人のけんかは、生卵と生卵を両方から転がしてぶつけると同じく、両方割れるか必ずひびが入る。空手で鍛えた人のけんかも、まさしく生卵のぶつけ合いであり、絶対にけんか、口論は慎むべきである。

●活人拳
 武道修行の終局の目的は心技体一如の境地に達することである。
 相手の肉体に傷をつけず精神的な苦痛を与えることである。反省させることである。

●達人の教え
 空手は、打つのではなく突くのである。投げるのではなく、極めるのである。
 
技は、稽古によってのみ磨かれる
 
上達の近道は、平凡な基本(型)の練習
 すべての技は、最短距離を通る。
 有効な技とは、
瞬間的に全身の力を一点に集約すること。
 拳を突くとは、手ばかり突くにあらずして、気足ともに突くべし。拳を引くとは、手ばかり引くにあらずして、気足ともに引くべし。
気拳体一致
 昨日の初段は、必ずしも明日も初段ではない。今日やらなくては。

●空手の道
 喜屋武朝徳が先生が終生自らに課した教訓は、論語の「修己治人」であった。孟子は「天下の本は国、国の本は家、家の本は一身にある」と説き、精神修行によって自らを高め、その結果、自然と人を感化することを
人徳した。
 また、「心正しくして身は修まり、身が修まれば家が治まり、国が治まり、そして天下は平らかになる」と修身教育の重要性を説いた。
 腕力や武術や力自慢は、若いころなら誰でも憧れるものであるが、
「空手術」と「空手道」を混同してはいけないのである。
 強いばかりを鼻にかけるのは精神鍛錬が疎かになっているからである。百獣王のライオンと戦うのは「見世物」である。ライオンがくれば避けて通る。それが人間の知恵であり本分である。しかし、突然襲ってくれば石でも棒でも持って戦う。
 この予期せぬ出来事、回避不能な状況で毅然と立ち向かう精神修行こそ、琉球空手界が数百年にわたって、求道し「師から弟子」へ受け継いできた「琉球空手の神髄であり、奥義である」
 「一撃必殺」を奥義と勘違いしている空手家も多いが、
「空手家の奥義」とは「逃げるに如かず」であり、出来れば争わないことである。朝徳遺訓は、そのことを明確に論じている。
 空手道とは、「長年修行して体得した空手の技が、生涯を通して無駄になれば、空手道修行の目的が達せられたと心得よ!」
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6  少林寺流の指導理念
 
●アーナンクー(台湾の達人)1,925年

●セーサン  (松村宋棍) 1,809年〜1,896年

●ナイファンチ(松村宋棍)

●ワンシュー (真栄田親雲上)

●バッサイ  (親泊興寛) 1,831年〜1,905年

●ウーセーシー(松村宋棍)

●チントー  (松茂良興作)松村宋棍と同時代

●クーサンクー(屋良親雲上)松村宋棍より20歳位上
         
◆喜屋武朝徳 1,870年〜1,945年
         
仲里常延  1,922年〜2,010年
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7  少林寺流の指導理念
 
型とは形(技)を集大成したもの

 
アーナンクー
・少林寺流のみが継承している型で、喜屋武朝徳先生が台湾へ武者修行されたとき、現地の達人より伝授された型。

 セーサン
・前半では腹式呼吸を意識して行い(肩甲骨を下げ)、呼吸と攻防の密接な関係を体得する。後半は実践的な攻防の型で裏拳打ちや忍び足での前蹴り等の技が含まれる。

 ワンシュー
・独特の手刀受けの技、内受け、肩車投げ技が含まれている型である。

 抜塞(バッサイ)
・相手を誘い、掌底で顔面を攻撃、闇夜に忍び足で相手を探り位置を確認する技、足刀による関節への攻撃などの技が含まれている型である。

 五十四歩(ウーセーシー)
・手刀受け、背刀受け、連続貫手、羽交い絞めへの攻防、双手突きなどの形(技)が含まれている型である。

 鎮闘(チントー)
・二段跳び蹴り、鶴の岩立ち(転身後の蹴り技)など高度の技が含まれている型である。

 公相君(クーサンクー)
・最初の構えが円満で、平和を表現し「空手に先手なし」の理念に基づき、相手の四回の攻撃に対し四回の構えの後、初めて五回目から受けの体制に入るのである。いわゆる「機は時に従い変に応ずる」という武の原則に従い「降ってくる火の粉」は払わなければならないという、理念から生まれた崇高な受けの型である。総仕上げの型である。

 徳嶺の棍(トクミネノコン)
・少林寺流のみが継承している型で、棒の長さは六尺。連続受け攻防、貫技や突き技を多用する型である。
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8  少林寺流の指導理念
 
 空手の修行は「型に始まり、型に終わる」と言っても過言ではありません。型は「無理なく、無駄なく、むらなく」組み立てられています。
 従って、空手道の修業とは、徹底した型の反復練習によって技を磨き、その他の補助運動によって筋骨を鍛練して心技体の境地に入るのです。

 型は空手道の理想像です。最終的には型の様に仕上がるのです。実践の場合には臨機応変、千変万化、攻防進退、自由自在、よくその目的を達するのです。無理なく、無駄なく、むらのない技が勝を制するのです。

 型がきれいということは、隙がないということ。隙がないということは、熟練者ということ。熟練者ということは、強いということ。
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9  少林寺流の指導理念
 
 沖縄での古武術の発生は、11世紀〜12世紀頃の沖縄戦国時代からと言われています。
 1,327年に、中国へ初めての朝貢が行われ、以来約500年にわたって続けられた中国との進貢貿易の中で、日本の刀などの武器を輸出する傍ら、様々な武器や武術が沖縄にもたらされるようになりました。
 以後、沖縄の自然環境や歴史的な背景に影響されつつ、もとからあった古武器にこれらの武器が融合し独特な沖縄の「
古武術」へと発展していくことになります。
 古武術にとっての大きな転機が訪れるのは、尚真王(1,477年〜1,526年)時代での刀狩の実施と、薩摩の琉球侵攻(1,609年)後にとられた禁武政策であるといってもいいでしょう。
 これにより、武器の携帯が禁じられた武術家たちは、身近にある生活用具や農・漁具などに工夫を重ね、武器として転用させながら沖縄独自の隠れた武術=古武術へと昇華させたのです。
 しかしながらその歴史的特殊性故に、継承については秘密性がとられ、社会に開かれることが少なかったのです。
 20世紀に入り屋比久孟伝(ヤビクモウデン1,878年〜1,941年)、又吉眞光(マタヨシシンコウ1,888年〜1,947年)等により、沖縄の古武術を体系的に研究し、継承していこうとする動きが社会的にあらわれるようになりました。そして流会派の組織的な結成が活発化するようになり現在に至っています。
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10  少林寺流の指導理念
 
【棒術】は剣術と違って、そのどの部分も刀と化し得る千変万化の武器である。
 つまり、剣には変化自在の組太刀があるが、刃を敵にあてなければ斬れないという制限を持っている。しかし、棒には刃も柄もなく「薙ぎ」「突き」「打つ」の万能性を、その六尺の全てに秘めている。 その歴史は、北方より来たものと南方より来たものが以前から沖縄にあったものと一緒になり、研究されてきて現在の棒術に至っているとも言われている。
 実際の鍛練にあたっては、「技の敏速」かつ「確実」に行うことを心がけると同時に、「身の捌き」を速やかにして、その攻防の変化を常に研究・練習しておくことが肝要である。
 現在残っている型として「津堅棒」「周氏の棍」「佐久川の棍」などがある。

【サイ術】のサイは、インド、中国を経て沖縄に入り発達を遂げたものであり、昔は仏具の一つとして教えられ、その形状から「人体を具現している」と言われている。
 実際、寺院では宝物や経典・仏具当を自ら守るために僧達によって武器として開発され、次第に武士階級にひそかに伝えられたとも言われている。
 また、その型の名称はほとんど著名な沖縄の武人たちが編み出したため、その名を冠して呼称され現在に至っている。
 サイ術には「打つ」「受ける」「突く」「打ち落とす」「引っ掛ける」「貫く」があり、護身のための武術であるとされている。いわく世界の武術のように相手を刺殺して自己を護るのではなく、相手に危害を与えず静めるを第一義的に考えて創られたと言ってもいいだろう。
 現在沖縄に残っている型としては「津堅志多伯のサイ術」「多和田のサイ術」「浜比嘉のサイ術」などがある。

【ヌンチャク術】は元々は傍観や多人数の暴力に対して、その相手の攻撃力を弱め相手を静めるために使われた。故に、型においても受けから始まっていることが大きな特徴としてあげられる。
 沖縄の昔のヌンチャクは、長さ七寸五分(約22.5p)〜十寸(約30p)位までであったと言われている。小型で携帯に便利であり、敵の攻撃に対して身を護るのに非常に大きな力を発揮したので、常時携行されていたと言われている。
 現在残されている型としては「「前里のヌンチャク術」「東氏の二丁ヌンチャク術」などがある。

【トゥンファー】については諸説粉々として定かではないが、木製の棒に把手がついていて「坊」と呼ばれている中国の武器の一種が、沖縄に伝来したのが原型と言われている。
 沖縄では、唐ウシの柄を考案してトゥンファーとして使ったようである。元来、日本本土の古武術にはない沖縄独特の武具であり、二本一組で使用するが操作が難しく熟練度を要求される武器である。
 今日でも、有段者以上に指導しているが、これを自在に使いこなすには相当の日数を必要とされている。
 現在残されている型としては「屋良小のトゥンファー術」「浜比嘉のトゥンファー術」などがある。

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注意  
 ここに載せている情報は自分が書物等により学んだ事を記載しております。
 今後も学んだことについて、追加・変更をしていきたいと思います。
 何かお気づきの点がございましたら、ご一報ください。
参考図書
 ・空手道少林寺流命名50周年記念誌 仲里常延 編著
 ・85歳の誕生日を迎えて〜自叙伝〜 仲里常延 編著
 ・沖縄空手界のチャンミーと呼ばれた漢(おとこ) 著者 伊禮 博



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